DV・児童虐待がなくならない理由がある

 西淀川区で起きた児童虐待の悲劇。今後、なぜこのような事件が起こったのか、なぜ未然に防げなかったのかという話になってくるだろう。法律に不備があるのか・学校の対応が悪かったのか・地域力が弱くなったのか・・・。

 現場を多少なりとも知る立場として言えるのは、被害者である児童や女性は被害を第三者に訴えないケースが多いという現実だ。

 こういうと信じてもらえないかもしれない。しかし、これが実態だ。

 DVの場合、①パートナーのストレス→②暴力→③(暴力をすることによる)ストレスの発散→④暴力をふるったことの反省→⑤反省した姿をみて暴力を許す→①さらなるストレス→②さらなる暴力→③ストレスの発散→④暴力をふるったことの反省→⑤また、その姿をみて許す・・・・・これが際限なく続きエスカレートしていく。

 この服従関係が構築されてしまうと、暴力から逃げようという気持ちすら起こらなくなるという。

 これが児童虐待であれば、子どもはどんなひどい暴力を受けても「親に好かれたい、嫌われたくない」の一心で親に服従する。

 被害者からの訴えがない以上、法律も警察も子どもセンターも教育委員会も手出しできない、となる。

 しかし、地域・親族・学校・友人は、必ず何かのサインを発見することができる。子どもであれば身体にアザはないか、食事はとっているか、服は洗濯してもらっているか(身なりが整っているか)をみたり聞いたりすると子どもは素直だから必ず正直に答えてくれるはずである。(その点、DVは難しい。)

 わたしたちは、被害者たちに被害者であることを啓発し安全な逃げ道があることを伝えるとともに、被害の客観的事実を積み上げて警察・子どもセンターを動かす努力をしなければならない。また、DV・児童虐待でないと結論付ける場合も、それなりの客観的事実を積み上げ記録しておく必要がある。