県の政策法務研修で失望する

 2日間にわたり、県下職員が集まり政策法務の研修を受けた。講師はある大学の准教授であった。初日は、重要判例をぼそぼそと自分のノートPCを眺めながら解説。幸い知っていた判例もあり法務いや法無の自分でも何とかついていけた。
 裁判所が、行政の裁量にかかわる案件についても司法の判断を下す傾向が表れたことは恐ろしいことであり、今後校区・校区変更・区域外就学(これらも命令的行政処分といわれるらしい)の事務を行う際、行政不服審査行政訴訟も覚悟しなえればならないことまた、それらに備えなければならないことを痛感した。

 問題は、2日目だ。
テーマは「自治基本条例」。最初に、日本国憲法の成り立ちとその基になっている米国の州憲法の事例を出し、「自治基本条例」の最高法規性には、憲法地方自治法上問題があるといい、条例中、住民投票の規程には同じく地方自治法16,116条違反である可能性が高いとレクチャー。

 演習に、各市の代表的な自治基本条例の特徴を発表させ、その特徴について酷評した。
まず、自治基本条例を制定する根拠がない!理念だけで手続き・実効性がない。根拠があるとすれば前文だけだ。前文には自治体の人権の体系が書かれている(憲法も人権を守ることと規定されているのと同様に)これが条例の必要性のfictionの根拠であるとまでいいはなった。

 あげくに、ある市の条例中「●●基地について」、「区税の賦課徴収」、「議会の設置」等々これらの規定を置かずとも当然のことでなぜ、わざわざこんなものまで条例にするのかという理由を「条例をつくったのが市民だから」であるといった。市民が「これも入れてください、あれも入れてください」というから必要もない規定まで入っているのだという。これには、あきれはててしまった。他にもメモしているがここでは書ききれない。

 自治体が唯一、国や県に勝るもの。それが市民にいちばん近く声を聞けることである。それが「自治」の姿でありそれを条例として宣言したのが自治基本条例だと思っている。それを法令遵守というか学者様のがちがちの理屈で難癖をつけることは自治・市民を馬鹿にしているのではないかと疑う。ある自治基本条例を検討中のまちの担当者は、帰り際「こんな条例をつくってはまずいぞ」とつぶやくのをみて悔しかった。