限られた人生をどうするか

義母が最近、子犬を飼い始めた。聞くと、同年代の知り合いが次々と亡くなったり重い病にかかったという。そのため、今度は自分の番ではないかと心配になり、好きなことをしたいと思い始めたようだ。その一つが子犬であり、さらには携帯電話を持ちたい、キッチンのリフォームをしたい・・・というようになっている。

ある元上司は、胃がんの手術をしたが統計上、術後5年で死亡する確率が高いことを知り、異常なほど趣味に興じ早期退職した(仕事ぶりも見事であった)。また、ある元上司は、胃がんの手術後も、手術前と同様に仕事に励み定年まで水を得た魚のように、仕事をして退職した。


もしも、あと余命○年と宣告されたらどうするだろうか。余命わずかといわれずとも、病気、事故、過労等々で心身に支障をきたしたら自分は、どうするだろうか?

実は、数年前から、心労が原因で通院治療している。幸い今はパーフェクトではないにしても(40歳すぎれば何においてもパーフェクトはありえないだろうが)将来、どんな業務をいいわたされても人並み以上にやり遂げられる自信はもっているし、それなりの努力はしているつもりだ。


ただ、治療開始当時は大変だった。そのときの上司は、独学でカウンセリングを学んだこともありメンタルヘルスについてすごく自信をもっていた。しかし、いきなり着任早々、「月に1日は休め」とか「夏休みは、すべてとれ。とれなかったら課内異動させる」といわれた。結果、がんばって夏休みはすべてとったが、着任後、たった半年で課内異動させられた。そのときの理由が「異動すれば、君は休養できるし、課員みんなのレベルが上がる。いいことづくめだ」であった。

いまでもそのときのくやしさは、忘れていない。もちろん上司のいうことは、誤りではない。しかし、「人は病気になったら休まなければならない」というのは百人いれば百人ともあてはまるのだろうか?
ずってでもはってでも見苦しいかもしれないが、頑張りたいという人も少なからずいるはずだと思う。また、その当時は「無理やり休め」といわれたことはあっても、「大丈夫か」とか「大変だが頑張ってるな」とその上司から励まされたことは一度もなかった。したがって当時は「おまえでは、駄目だからいい加減無理せず休め」と言われているようですごく嫌だった。

体調が悪いから・・・・・と思うか、体調が悪いけど・・・・と思うか。基本的には、個人の意思を尊重すべきというのが持論だ。その中で、やはり職場全体でサポートできないとか致命的な問題が生じるというのであれば、極力、本人に説明をして業務を減らすとか配置転換する等の方法を提案すべきと考える。少なくとも自分はそうして欲しかった。


蛇足だが、納得いかなかった異動の後、たびたび上司と仕事上で衝突し、何度も症状が良くなっては悪化するをくりかえした。これでは、体が持たないと思い課内異動ではなく人事異動を訴えた。その後、部署が変わり仕事は大変だったが、それがやる気にもなり次第に症状も安定するようになった。

それ以来、同じことが起こらないように労安担当にも治療中であることは報告しているし、上司が変わるごとに「自分には、体調不安の可能性がある。しかし、自分では大丈夫だと思っているし何か特別に配慮してほしいとは思っていない。ただ、何か迷惑をかけることが起こるかもしれないので前もって自主申告します」といってきた。


さらに蛇足だが、研修マニアといわれかねないほど、研修を受けたり、つとめて勉強しているのは、自分の体調がハンデにならないようにしたいというのがそもそものスタートである。(いまは、学ぶことが楽しいし若い職員に負けたくないという気持ちからいろいろなことに挑戦している。)


仕事の基本は、健康だ。しかし、すべての人は、何かしらの心身の不備をもっている(と思う)その中で、その人が仕事と健康のバランスをどうとるのかは本人の覚悟次第であり、他の人が無理やり押し付けるものではない。一律的な対応は、危険だといいたい。